目まいすらする街に立ち向かう力

目まいすらする街に立ち向かう力


目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で立ち向かっていかなければ
― 尾崎豊『存在』より


突然ですが、私は都市伝説や陰謀論的な話が大好きです。
信じているというワケではなく、あくまでサブカルチャーとして楽しんでいます。
その中でよく目にするのが「2025年は物質文明から精神文明への過渡期になる」という物語です。

この言葉を見たとき、頭に浮かんだのが尾崎豊さんのこの歌詞でした。
「目まいすらする街」とは、お金や利権ばかりが支配する社会の象徴のように思えます。
そこでは人の価値さえも、数字や肩書きに換算される。
けれど、そんな街で人間らしさを取り戻すための武器こそ「愛や誠心」だと尾崎は歌っています。

1991年に生まれたこの歌が、30年以上経った今なお響き続けるのは、社会の本質的な病が変わっていないからかもしれません。
物質的な豊かさは進歩しても、心の貧しさはむしろ深まっている気がする。
自分と違う行動をしたら「変だ」と非難し、違う考えは「間違えてる」と否定する。
間にある「何でその行動?考え?」という事を忘れがちになってしまっている。
だからこそ「人をつなぐ心」が必要なのだと思います。

私が若い頃にこの歌を聴いたとき、その真意を理解していたかどうかは分かりません。
ただ、振り返れば「人の心の平穏こそが一番の豊かさ」だと信じて生きてきたように思います。
それは自分一人の平穏ではなく、相手の心の平穏も含めて守ること。
互いにその平穏を目指せなければ、この眩暈のような社会の歪みは決して消え去らないのかもしれません。

――それでも人は、金や地位を選ぶのか。愛と誠心を選ぶのか。

魂が欲望に傾くのなら、その先にある落とし穴もまた「自分だけの真実」だろう。

――そして最後に問いたい。

Soulのそよ風。
その金と地位が大事か?
ならば最後まで守り続けるが良い。

金と地位を守り続けた果てに残るものは、拍手喝采か?それとも、乾いた笑いと空虚な自分か?
……さあ答えてみろ。
愛と誠心を手放したその手に、いったい何が残るというのか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました