心を削るような毎日への葛藤

心を削るような毎日への葛藤

こんな仕事は早く終わらせてしまいたい
まるで僕を殺すために 働くようだ
― 尾崎豊『太陽の瞳』より

毎朝、この歌詞が頭を流れていく。
しんどい朝ほど、よく響く。
きっと、同じように感じたことがある人も少なくないはずだ。

「殺すために働く」なんて、極端な表現だ。
でもそれが「心を削るような働き方」のことなら――思い当たる節がありすぎる。

毎日終わらないノルマ、削られる自由時間。
忙しさによって「あとでいいや」と置き去りにしていく、自分の“好き”や“夢”。

そんな働き方を、みんなが望んでるわけじゃないのに、
それでも社会は、そんな働き方で動き続けているように見える。

もちろん、働くことは生きていく上で大事な営みだ。
誰かの役に立てる喜びもあるし、
仕事を通じて人と出会い、自分が成長できることもある。

だけど、ふとした朝に「殺されるような感覚」を覚えることがある。
それもまた、嘘じゃない。

そして、そんな感覚を抱いたって、自分を責めなくていいと思う。

「殺すために働くようだ」――
過激なこの一節に共感してしまうのは、
“心を殺さずに働きたい”という、切実な願いの裏返しなのかもしれない。

仕事は、終わらせないといけない。
でも、自分の心も、置き去りにはできない。

天秤にかけられそうで、かけられない。
そんな感覚を、この一節は言い当ててくれた気がする。

仕事をするのは、生きていくため。

でも、生きていくには――心が生きていなきゃいけない。

だから私は思うんだ。
「心と一緒に進める道」があるなら、そっちを選んでもいい。

たとえ見えなくても、その道を探す旅に出よう。
GO AHEAD!

Let words be the wind. And the Ark sail.

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