失敗続きの私が「くるみ」に出会って救われた話|Mr.Childrenの歌詞がくれた“余白”という優しさ
どこかで掛け違えてきて 気が付けば一つ余ったボタン
同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに
出会う事で意味がで出来たならいい
―Mr.Children「くるみ」より
持っていたけれど、捨ててしまった夢。
欲しくなかったけど得てしまった辛い思い出。
そのどちらも大事にしないと、と考えさせてもらった言葉です。
PVも本当に素敵で、言葉と映像、どちらもじんわりと心にしみてきます。
この「くるみ」というタイトル、漢字にすると「来未」──未来の“反対”としての“過去”を表しているそうです。
そう教えてくれたのも、その友人でした。
過去から見た自分はどうだろう?描いていたイメージの通りになってるでしょうか?
私は…なってません(笑)
昔の自分が見たら、きっとがっかりする。だろうけど、それがどうした。
今の自分も肯定してくれる風がこの言葉にあると思います。
けれど、この歌の言葉が教えてくれました。
掛け違えて来たけれど、無理に直そうとしないで、そのままでいいよ。
入れなかった道も全てを包み込むような優しさを。
失敗や後悔、思い出したくもないトラウマさえも──
「こうだったから、今がある」と言えるのなら、きっとどこかで役目を果たしてくれている。
無理に捨てようとせず、そのままの形でそっと残しておく。
それはきっと、誰かとつながるための“余白”になるのだと思います。
失敗談って恥ずかしくて隠しがちになりますよね。
でも、それらも「ネタ」として笑い話出来るってとっても素敵じゃないですか?
自分の中の傷が“勲章”のような気がしてきます。
そう思うと、他の人の失敗にもちょっと優しくなれる。
「笑って受け入れる」って、意外と力強いことかもしれません。
そうして受け入れてしまえば、私の中に少しずつ「どう進めばいいか」の道しるべが見えてきました。
同じ失敗をしないための視点も、自分や誰かの“やらかし”から見えてくるものですしね。
そうやって学んだことは、きっと無駄じゃない。
むしろ、その積み重ねが「自分だけの進み方」を教えてくれる気がします。
友達とカラオケに行ったとき、その子が歌ってくれた曲の中で、とても心に刺さる歌詞でした。
聴いた瞬間、一発で虜です。
私は、カラオケでは“上手さ”よりも“言葉”に注目しています。
リズムやメロディよりも、心に刺さる歌詞があるかどうか。
だから、音痴でも楽しめるんです。音痴の人とだって、大歓迎。
……ちなみに私も、立派な音痴です(笑)
まるで、誰かが私の心の奥にそっと手を差し伸べてくれているようで──。
そんな言葉に出会った瞬間、私は静かに背中を押されるのです。
昔の自分が「世界を救うヒーロー」になりたかったというボタンが、
このブログから追い風を感じた人のボタンホールに慣れれば、とても幸いです。
Let words be the wind. And the Ark sail.
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