仮面は壊れるのか?

仮面は壊れるのか?
太宰治が描いた“道化”と、私が被る“理想”


太宰治の『人間失格』。実のところ、私はまだ読んだことがない。
けれど、「道化を演じて心を壊していく」――
そんなあらすじだけは、なぜか深く焼きついている。

愛されたい。嫌われたくない。
だから、“誰かが求めているかもしれない自分”を、必死に演じ続けてしまう。

でもそれは、演じれば演じるほど、自分の中身を削っていく行為だ。
やがて仮面だけが残り、中身は空っぽになる。

それが――太宰の描いた「壊れる仮面」なんだと思う。


誰のための仮面か?

私は、「仮面」そのものが悪だとは思っていない。

むしろ私は、自分のために仮面を被っている。
なりたい自分に近づくために、強くありたい自分を演じている。

他人の評価を気にして作り上げた仮面じゃない。
自分が信じた「理想の自分」に、毎日ちょっとずつ近づくための仮面だ。

そして、ストレスなくその仮面を被り続けることができたなら――
それはきっと、いつか「本当の顔」になる。


仮面が人を壊すんじゃない。
壊すのは、“誰のために演じているか”だ。

もし、他人の期待や空気に合わせて
“自分じゃない自分”を演じ続けているとしたら、
それはきっと、どこかでひびが入る。

でも、自分の意思で、自分の理想を形にするために選んだ仮面なら、
それは「演技」じゃない。
それは「成る」ための行動だ。


仮面が壊れるんじゃない。
“誰のために被っているか”が、すべてを決める。

だからこそ、私はこれを信念として掲げている。

「理想の仮面をかぶり続けて、ストレスがなくなれば、それはもう“自分の顔”なんだよ」

太宰の「道化」は、他人の視線のために選ばれた仮面だった。
私は、未来の自分のために仮面を被っている。


もし今、誰かの評価のためだけに自分を変えようとしているなら、
その仮面――いったん鏡に映してみてほしい。

その顔に、自分の“意思”はあるか?
それとも、“恐れだけ”か?


他人が求める偽りの仮面など、我が火で焼き尽くしてやろう。
そして――意思で裏付けた希望を纏え。

Let words be the wind. And the Ark sail.

コメント

タイトルとURLをコピーしました