新しい視点を得た言葉
お茶碗一個から揃えて買っていけばよい
― SoulSmith『航路』より
若い頃、私はコンビニで働いていました。
夜遅い時間帯でもよく顔を見せてくれるご夫婦がいて、次第に言葉を交わすようになりました。お二人は個人で飲食店を営んでいて、仕事帰りに寄ってくれることが多かったのです。
何度も会ううちに少しずつ距離が縮まり、「一度うちのお店に来てよ」と誘っていただきました。後日訪ねたお店は、どこか懐かしさを感じる温かい空間でした。木の温もりが漂う内装に、丁寧に磨かれたテーブル。料理は素朴で飾らないのに、ひと口ごとに優しさが伝わってくるような味わいでした。そこに流れる空気そのものが、ご夫婦の人柄を映しているようでした。
食事を楽しみながら、たわいもない話に花が咲きました。
その流れで「結婚はしてないの?」と尋ねられ、私は思わず「お金がなくて…」と答えました。
当時の私は、結婚するにはしっかりとした経済力がなければいけないと信じていました。貯金も心許なく、将来を語るにはお金が足りない。周囲の友人たちが結婚していくのを見て、どこか焦りを感じていたのです。
そんな私に、ご夫婦はにこやかにこう言いました。
「お金なんて後よ。結婚して、お揃いのお茶碗一個から買っていけばいい」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で固まっていたものがほどけていくようでした。
あの時、ご夫婦の笑顔は不思議と力強く見え、優しいのに揺るぎない確信を宿していました。
「完璧でなくてもいい。小さな一歩を積み重ねれば、それで道はできていく」
そのメッセージを、言葉だけでなく表情や空気ごと受け取った気がしたのです。
結婚とは、最初から完璧に備えておくものではなく、二人で少しずつ形を作っていくもの。
足りないものがあっても、それを補い合いながら過ごすことに価値がある。そう気づかされた瞬間でした。
そして、この言葉は結婚観だけでなく、私の生き方にも大きなヒントを与えてくれました。
「何かを始めるのに、すべてを揃えてからじゃなくてもいい。とりあえず一つから始めてみればいい」
そう思えるようになったのです。
仕事でも趣味でも、最初から完璧を求めると一歩が重くなります。
けれど、お茶碗一個を揃えるように、小さな一歩から始めれば、やがて形になっていく。そう考えると、挑戦がぐっと身近になり、心が軽くなるのです。
人の価値観に触れると、自分が当たり前だと思い込んでいた考えが揺さぶられ、新しい視点が開けていきます。
その広がりこそが、人と人との出会いの面白さなのかもしれません。
さて、この考え方を私はどう使っているのか。
その話はまた今度にしましょう。
Soulのそよ風
自分とは違う価値観を受け入れろ。
思いもよらぬ世界が広がることもあるぞ。
Let words be the wind. And the Ark sail.
コメント